| 六十歳の熟年ラブレター 柴田紀和夫 (長崎寄席世話人)
住友信託銀行が平成十二年十一月二十二日(いい夫婦の日)より、「長い人生をともに歩む夫から妻への、妻から夫への素直な気持」「感謝の思い」をキーワードに葉書でラブレターを募集したところ、二ヶ月余りで約一万六千通の応募があったそうです。 その応募作品の中から一六五編を収めた作品集「夫から妻へ、妻から夫へ六十歳のラブレター」(NHK出版)が出版されました。そして、三組の夫婦が去る三月二十一日にNHKテレビで放映され、最初に紹介されたのが長崎寄席常連会員の村田明弘、由美さん夫婦でした。 村田明弘さんは典型的な会社人間で、家事・育児・教育などはすべて妻由美さんにまかせっきりにして、仕事に打ち込んできました。赤字続きの運送会社の社長に就任し、わずか数年で黒字にするなどの経営手腕を発揮しました。 また、五年前より、葬儀社を設立し徹底的な低料金とお客の要望に応えるなかで着実に業績を伸ばしているようです。(この葬儀社はライフセレモニーといい三年前より長崎寄席だよりに広告を出して頂いております。) しかし、八年前、突然由美さんが「脊髄小脳変性症」という難病にかかり、最近では寝たり起きたりの車イス生活になってしまいました。由美さんが病気になって初めて明弘さんは自分が家庭をかえりみていなかったことに気付きました。その後はどんなに仕事が忙しくても夜七時頃までには自宅に戻り、炊事・洗濯などを行い、休日は天気が良ければ由美さんを車イスに乗せ近所を散歩しています。 また由美さんをより良く介護するため、六十歳になってホームヘルパー2級の資格を取得したそうです。 一方、由美さんはダンスや山登りの趣味を持ち健康的な生活をしていたのに、突然わけのわからない病気に襲われ大きなショックを受けました。医者から「小脳が萎縮し病気が少しづつ進行する」といわれ、「何で私だけが・・・」というおもいで自暴自棄になりかけたこともあったでしょう。そしてものすごい心の葛藤の末、また明弘さんの献身的な介護のなかで、やっと今の状態を受け入れるようになったと思われます。 由美さんの今の大きな楽しみは、二ヶ月に一度明弘さんに車イスを押してもらい、一緒に長崎寄席を見ることだそうです。その言葉を聞き、私も長崎寄席を続けていくうえで大きな励みになりました。 最後に、明弘さんの手紙を全文紹介します。 《夫から妻への手紙》 結核で入院していた国立中野療養所で君と知り合い熱烈な恋愛の末、結婚したのが、いまから三十八年前、お互いに二十二歳の若さでしたね。 この三十年間、私は二人の息子達の育児も教育もほとんど君にまかせ、典型的な会社人間でした。 その二人が大学を卒業し、社会に送り出して、これからという時に、君が脊髄小脳変性症という難病にかかって八年目を迎えました。 君はダンスやハイキングが好きな活動的で快活な女性でした。 それが、いまは寝たり起きたりで車イスの生活になりましたが、発病した当時、とまどいとショックで君の顔を見るのがつらい毎日でした。 私は「これからは私の出番」と洗濯、炊事に必死でしたが、お陰で料理作りもうまくなりました。 君が病気になり、いろいろと身の回りの事をやり始めて、なんだか本当の夫婦になったような気がします。お風呂に入れてやり、湯上りの気持ちよさそうな顔を見ているとさわやかな充実感を覚えます。 いまの私は、仕事のかたわら難病団体の役員としてボランティアに精を出していますが、君が病気になって初めて体験することができました。 これからの人生は私が恩返しをする番です。悔いを残さぬよう楽しく仲良く生きて行きましょう。村田明弘(東京都豊島区五十九才) 「第114回長崎寄席だより」より |